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住友銀行立売掘支店三階の南側の一室を店舗として借り受け、瀬清三郎商店が誕生した。耐震耐火建築のこのビルは、当時としては相当の近代建築である。
最初に取り扱った商品は、これまで取り扱っていた鉄筋・鉄骨といった商品ではなく、鋼矢板200トン。基礎工事に使われる鋼矢板は、一度使った後に泥を落としたり、歪みを直したりと手間ひまのかかる商品だった。
ヒロセ創業者の瀬清三郎は、土木建築業者が手をこまねいていた現状を把握し、鋼矢板を”売る”のではなく”貸す”という鋼矢板の賃貸業をきっかけに商売を始めたのであった。
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昭和32年頃までは、ビルの基礎工事で事故が多発していた。木製の梁が周囲の土圧に耐え切れず折れたために起こった事故であった。木製の梁は老朽化が早く耐用年数も短い上、外観からの腐食度合いが分かりにくい。
そこで、木製よりも機能面・安全面で優位な”鋼製の梁”に着想し、あらゆる角度からの試行錯誤の結果、着手から数カ月かかってようやく製作図面ができあがるまでにこぎつけた。やがてニッケンスター®式鋼製山留が誕生し、ヒロセのオリジナルブランド名としての「ニッケンスター®」が普及することになる。
「ニッケンスター®」という名前には、日本の建設業の星になろうという夢がこめられていた。
鋼製山留の大口契約は次々と進み、事業の「二本目の柱」として着実に成果を上げていった。山留事業を進める中で、計算データの集積や現場の技術指導の推進に尽力。鋼製山留での成功は「技術のヒロセ」として確固たる地位を築き上げるきっかけとなった。
- 昭和38年 (1963年)
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- 8月
- 名古屋営業所(現:名古屋支店)を開設
- 昭和39年 (1964年)
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- 1月
- 商号を瀬鋼材産業株式会社に変更
- 4月
- 名古屋工場を開設
- 昭和40年 (1965年)
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- 4月
- 覆工板の取扱いを開始
- 昭和42年 (1967年)
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- 10月
- 広島営業所(現:中国支店)を開設
- 昭和43年 (1968年)
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- 3月
- 広島工場を開設
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東京オリンピックや万国博覧会に日本経済が沸くころ、一方で騒音公害が社会問題となってきていた。そこでヒロセは昭和44年、日本で初めて「サイレントマスター」の導入に踏み切った。
この新鋭機サイレントマスターは、振動騒音の激しかった従来のハンマーなどによる工法に取って代わる「油圧工法」を用いている。無振動・無騒音で鋼矢板の打ち抜き作業が可能な、画期的な製品である。
都心部における鋼矢板の打ち抜き工事にその威力を発揮し、ヒロセのさらなる発展に新たなページを開いた。- 12月
- 大阪新工場(現:大阪工場)を開設
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ヨーロッパでの視察において、かなりの重量に耐えられる仮設材である「仮設橋梁」に興味を持ったヒロセは、早速大阪工場でその開発を進めていった。様々な技術の活用、またゼネコン各社の協力もあって、「ニッケンスター®式NTパネル」が誕生。新商品の営業に追われていた。
日々の営業の成果により普及に至ったニッケンスター®式NTパネルは、大型の道路工事や災害復旧の場面でおおいに活躍した。集中豪雨で崩壊した鉄橋の復旧工事にも使用され、列車の再開に貢献。
こうして成長を重ねたNTパネルは鋼矢板、鋼製山留と並ぶ「三本目の柱」として位置づけられることになった。「仮設橋」という新分野を切り開く、文字通りの原動力であったといえる。北海道から九州まで全国規模で普及し、業界でも最大のシェアを獲得していくこととなる。
- 昭和49年 (1974年)
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- 1月
- 仙台支店(現:東北支店)を開設
- 5月
- 仙台工場を開設
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新しい分野への進出を目論んでいたヒロセは、フランスの「テールアルメ工法」への挑戦を定めた。慣れない土地での根強い交渉の末に契約・調印にこぎつけたヒロセは、テールアルメ工法の日本での成功を誓った。
フランス生まれのこの工法は、垂直盛り土のため用地幅が最少で済む・施工性に優れ工期短縮が可能・熟練工が不要・低コスト・高い擁壁の構築が可能など様々な特長を備えていたが、日本ではほとんどなじみがない状態であった。
これまでの鋼矢板や山留とは違った営業が必要と判断したヒロセは、ゼネコンに頼らない独自に営業部隊を設置。官公庁・公団・コンサルタント業者などを主な対象としたスペックイン志向の営業スタイルが強化され、テールアルメ工法を浸透させていくこととなる。
- 10月
- 札幌支店(現:北海道支店)を開設
- 昭和50年 (1975年)
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- 1月
- 四国営業所(現:四国支店)を開設
- 11月
- 札幌工場を開設
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NTパネルの導入により橋梁資材の取り扱いを開始したヒロセであったが、営業先からの「もっと丈夫なものに・もっとシンプルなものに」との声が多く、新たな仮設橋梁を探していた。調査を続け出会ったのは、西ドイツ・クルップ社の「D橋」であった。
西ドイツの大企業対日本の中小企業ではあったが、技術導入の交渉はスムーズに運んだ。規格や言語の違いを乗り越え、形態はクルップ社の「D橋」とそっくりだが細部では全く違う”メイド・イン・ヒロセ”の「D橋」―すなわち「ニッケンスター®KD橋」の図面が完成した。
昭和52年9月には北海道旭川に第一号橋、同年12月には北海道帯広に第二号橋を納入したのを皮切りに様々な橋梁商品を手掛けることとなり、さらなる技術分野の開拓につながっている。
- 昭和52年 (1977年)
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- 1月
- 白井工場を開設
- 7月
- 四国支店坂出工場を開設(四国地区の分工場として)
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盛り土補強だけでなく、地山補強も商品としてあれば…と考えたヒロセは、イタリアのフォンデディレ社と「網状ルートパイル®工法」の技術提携に尽力していた。
地山に人工的な根を作って補強するという考え方は全く新しい発想であり、経験工学の国であるイタリアと理論優先国である日本との間で折衝が起こることもしばしばあったが、7年近くの年月によりやっとの思いで営業活動が軌道に乗った。
テールアルメ工法でスタートした盛り土補強、網状ルートパイル®で始まった地山補強のヒロセの取り組みはまさしく日本の補強土工法の発展であった。日本における補強土部門の先駆けとなったのである。 今、さらに総合的な補強土事業への展開を目指し、ヒロセの大きな将来への柱として躍進を続けている。
- 昭和55年 (1980年)
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- 9月
- SMW工法を導入
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当時、国内需要の伸びが横ばいの状態で、企業の国際化が求められていた。シンガポールでは昭和58年から地下鉄工事の業者発注が見込まれており、ヒロセは昭和58年4月、初の海外拠点としてシンガポール駐在員事務所(後のシンガポール支店)の開設に踏み切った。
現地の市場は日本・韓国・ローカルの建設業者の熾烈な競合の渦中にあったが、工法的にも鋼製山留が注目されつつあるなど、ヒロセにとって追い風の状況もあった。鋼材の規格の違いや言語の違いに悩まされつつ、好調な営業活動を展開。シンガポール支店の成功によって、海外事業展開を行う上での拠点・土台が築かれたといえる。
シンガポールでの経験と実績を基盤にして、その後もタイ、ベトナム、インドネシアへ続々と進出。「国際化時代」という背景のもと、無限の可能性を秘めた東南アジア市場への進出を実現し、国内から海外へと活躍の場を大きく広げたヒロセは、世界に向けて力強く羽ばたきを続けている。
- 昭和59年 (1984年)
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- 8月
- 東京工場を開設
- 昭和61年 (1986年)
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- 3月
- ニッケンスター®HSトラスを開発
- 昭和63年 (1988年)
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- 4月
- ダグシム®工法を開発。プレガーダー®を開発
- 9月
- ヒロセタイランドを開設
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昭和63年11月25日、ヒロセ最大の売上高達成で迎えた創立50周年記念式典で、瀬太一社長から新社名を「ヒロセ株式会社」とすることが発表された。ヒロセは今後”重仮設材を扱う企業”から、本格的に”鉄と土と建設に関わるトータルエンジニアリング企業”へと業容を質的に発展させていくことを内外に鮮明に示すために、コーポレート・アイデンティティ(CI)の確立を図ったのだ。
長年親しまれてきた「瀬鋼材産業株式会社」の時代が終わり、新たな夢と熱い希望に燃えた「ヒロセ株式会社」がスタートを切ったのであった。
まさに新生「ヒロセ」が幕を開けたのである。
- 平成元年 (1989年)
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- 12月
- キャデック株式会社設立
- 平成4年 (1992年)
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- 7月
- テールアルメ社(仏)と技術提携、テクスパン工法を導入
- 平成8年 (1996年)
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- 10月
- シンガポール支店を現地法人化し、HIROSE(ASIA)PTE.LTD.を設立
- 10月
- 四国支店を開設(大阪本店より分離・独立)
- 平成10年 (1998年)
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- 3月
- テールアルメ工法の宅地造成に関する大臣認定を取得
- 平成11年 (1999年)
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- 10月
- サンドイッチ工法を導入
- 平成12年 (2000年)
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- 4月
- コンスパン工法を導入
- 平成15年 (2003年)
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- 4月
- 執行役員制と社内カンパニー制を導入
- 10月
- 重仮設カンパニー東北支店をヒロセ東北株式会社として分社
- 平成16年 (2004年)
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- 1月
- NSSブロック工法を導入
- 10月
- ハイドゲン工法を開発、導入
- 平成17年 (2005年)
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- 10月
- スーパーテールアルメ工法を開発、導入
- 平成18年 (2006年)
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- 12月
- G桟橋導入
- 平成19年 (2007年)
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- 4月
- 沖縄営業所開設
- 8月
- スターデッキの譲受け、導入
- 平成20年 (2008年)
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- 3月
- ベトナムに駐在員事務所開設
- 4月
- ヒロセ東北株式会社を吸収合併
- 11月
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ヒロセ創立70周年
- 平成21年 (2009年)
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- 1月
- HIROSE(ASIA)PTE.LTD.とシンガポールの日系重仮設事業会社のJ Steel Singapore Pte. Ltd.が合併し、HIROSE(SINGAPORE)Pte. Ltd.へ社名変更
- 11月
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- テラトレールEG6を開発
- 伸栄株式会社を子会社化
- 平成22年 (2010年)
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- 4月
- 丸紅建材リース株式会社と業務提携
- 8月
- ハイパーウォール®を販売開始
- 平成23年 (2011年)
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- 1月
- HIROSE MARUKEN VIETNAM COMPANY LTD.設立
(現 HIROSE VIETNAM COMPANY LIMITED)
- 平成24年 (2012年)
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- 4月
- アジア地域の統括会社としてHIROSE(ASIA)PTE.LTD.設立
- 7月
- 沖縄支店設立
- 9月
- 成幸利根株式会社を子会社化
- 11月
- HIROSE(VIETNAM)HANOI COMPANY LIMITED設立
- 12月
- 産業リーシング株式会社への資本参加
- 平成25年 (2013年)
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- 3月
- FRP製品「拡幅用軽量床版」「橋梁検査路」導入
- 8月
- 盛岡営業所開設
- 12月
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- 産業リーシング株式会社を子会社化
- GS補強土システム導入
- 平成26年 (2014年)
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- 4月
- フリースパンフォーム®導入(関東・中国地区限定)
- 6月
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- テールアルメ工法導入40周年
- 太洋株式会社と資本業務提携
- 8月
- PT. HIROSE NUSANTARA INDONESIA設立
- 10月
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- 成幸利根株式会社が伸栄株式会社を吸収合併
- ヒロセメガビーム®導入
- 11月
- GSブロック®導入
- 平成27年 (2015年)
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- 1月
- フリースパンフォーム®北海道・東北地区へエリア拡大
- 6月
- ハイパーウォール®プラス(HHW®+)開始
- 11月
- フリースパンフォーム®スリム軽量化商品開始
- 平成28年 (2016年)
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- 3月
- フリースパンフォーム®東海・北陸・沖縄地区へエリア拡大
- 4月
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- 太洋ヒロセ株式会社発足
- ヒロセ工事用桟橋シリーズ Hi-BRIDGE工法、Hi-RoRo工法導入
- 6月
- HIROSE(SINGAPORE)PTE. LTD.が、中華工程有限公司を子会社化
- 8月
- ヒロセ工事用桟橋シリーズ プレガーダー®Ⅲ(PGⅢ)導入
- 11月
- ヒロセツインビーム®開発導入
- 平成29年 (2017年)
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- 1月
- 高強度山留主材(40SMH) 開発導入
- 2月
- 日本ノーディッグテクノロジー株式会社を子会社化
- 10月
- ヒロセ(株)が商号をヒロセホールディングス(株)へ変更し、重仮設事業は「ヒロセ(株)」に、補強土事業を「ヒロセ補強土(株)」へ会社分割
- 平成30年 (2018年)
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- 4月
- ヒロセ興産株式会社を子会社化
- 11月
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創立80周年
- 令和元年 (2019年)
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- 1月
- 関西地区をグループ会社太洋ヒロセを吸収分割会社、ヒロセを吸収分割継承会社として吸収分割
- 3月
- 重仮設技術支援アプリ配信
- 令和3年 (2021年)
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- 6月
- ECサイト「みんなの鋼太郎」開始
- 令和4年 (2022年)
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- 2月
- 沖縄支店をグループ会社太洋ヒロセへ事業譲渡